反抗期と精神形成

岸田秀先生の三島由紀夫論を読んで、我ながら考えてしまった。

三島由紀夫には反抗期がなかったらしい。そして、反抗期がないのは、精神障害になる1つの条件だそうである。彼のあの最後のクーデターというのは、精神障害における発狂そのものらしいです。(そういえば、私が追いかけてる作家も、反抗期がなく、躁鬱病になってるから、これは本当なんだろうな。)

そんな私も反抗期がありませんでした。どうやら、自我の形成においては、反抗期が必要らしいとのことです。これで、私の自我の弱いことの辻褄が合いました。

思うに、反抗期がないと、精神の形成に欠落が生じる気がします。ゆえに、健全な精神というのは、もう手に入りません。そして、残された手は精神以外のもので補うしかなく、その1つは知性であると思います。知的操作。まさに、三島由紀夫がそのような人だった気がします。(その結果、彼は自殺してしまいましたが…。)

でも、知的操作、知性で穴埋めしていったところで、誰からも好かれない気がしますね。そして、そういう人間はどこか人工的で温もりもなく、乾いた人間になるはずです。

あと、別の方法として、欠落した精神をカモフラージュするべく、死ぬまで演技し通すという方法がありますが…。

それもいつか破綻しそうな気がしますが…。