洗脳を解くには

以前の投稿の続きになりますが、ホリエモンがウシジマくんとお金の本の中で、確か、次のような趣旨のことを言ってました。

「洗脳を解くには、洗脳しかない」

言い得て妙な言葉であるが、「なるほどな」と読んだ当時の私は思いました。

変わって、進藤龍也牧師の話をしますが、彼をどこで知ったのかは忘れてしまいましたが、たぶん、テレビだったと思います。

進藤牧師は元ヤクザの牧師で、現役の頃に薬物の売買をシノギにしていたのですが、売人の自分も薬物に溺れてしまいました。結局、警察に捕まってしまうのですが、牢獄で聖書の一節読んで、更正を近い、ヤクザ稼業から足を洗って、やがて牧師になるために努力します。そして、晴れて牧師になるのですが、本で言っていたかどうかは忘れましたが、インタビューや対談で、次のような趣旨のことを言ってました。

「僕は薬物依存から、キリスト依存になりました」

これは先程のホリエモンの話と繋がります。
結局、依存は別の依存に向かうしかなく、別の依存に移行して、前の依存を打ち消すしかないのだと。

依存体質とやらがあるのだとしたら、依存体質そのものを変えるのではなく、依存する先を変えることがベターな対処の仕方なのだと。

前の投稿の話で考えるなら、リビドーの対象を変えることが唯一の対抗策だということです。

例えば、タバコをやめて太るというのは、ニコチン依存から過食へと依存先が変わったとみるべきなのかもしれません。

また、薬物を断ってからアルコール依存になる人は、薬物からアルコールに依存先を変えたのでしょう。

問題は、依存先です。

かくいう私も依存体質だと思っているので、ギャンブルやタバコには手をつけませんでした。これは真面目だからということでは決してなく、歯止めが利かなくなるからです。

こういう依存型の人間は0か100で考えるしかない気がします。要は、やるかやらないかの二択です。50というのは、たぶん無理でしょう。自制が効く、自我がしっかりしている人でないとキツいはずです。

何事も、脳が覚えてしまったら、やめるのがむずかしくなります。お酒も毎日飲んだら、脳が覚えちゃいます。毎日タバコを吸う人は、脳がタバコを完全に覚えてしまっているわけです。

人間は何かしらの対象、リビドーを向ける対象が必要ですが、対象の選択を誤ったり、対象の選択が限定的に、かつ、局所的になるとおかしなことになるわけです。それは、前の投稿で書いた通りです。

これは欲望の問題ですから、意識的に自覚するのはなかなかむずかしいかもしれませんが、こういうリビドーと対象との関係のメカニズムが客観的に分かれば、少しは結果が違ってくるのかなと思います。

少なくとも、何かに溺れたり、狂信的になったり、一つのものに絶対的かつ盲目的に従ったりする人間は少しは減るのかなーと…。