自己実現と社会実現

最近、絵を描いていますが、これは自己実現止まりでいいなとつくづく思う。要するに、社会的評価や対価などはどうでもよく、こちらが楽しむためだけにやる。これが自己実現である。

自己実現は自由さがある一方、社会実現は、社会的評価を得るために、戦略的にならねばならず、"個人の私情"は挟まず、絵を商品として売るための努力を常にしなければならないので何かと不自由である。

そんな商品をこしらえる絵描きの作品なんかよりも、"個人の私情"のみで描ききるような魂の芸術家の作品の方が私には必要なのである。

その筆頭は、ゴッホであり、ムンクであるが、彼らは自己実現の手段として芸術をやり、(ムンクはどうだか知らないが)ゴッホに関しては死後、自己実現が社会的に評価され、社会実現へと発展したのである。要するに、世界のゴッホになったのである。これこそ、ドラマだ。

こういう、自分に嘘をつかず、純粋に芸術と格闘した人間の絵は、不思議と響くのである。そして、私もどうせならこのように生きたいなと強く思う。売れない私小説的な絵なんか描いたところで、誰も振り向きはしないだろうが、自分に嘘をつき、嘘の絵を描いて評価されるくらいなら、孤立してでも嘘偽りのない"本当の絵"を描きたいと思う。

人前はともかくとして、芸術の前ぐらい、素直になったらどうなんだ?と言いたい。芸術の前では、素をさらけ出すべきではないか?それこそ表現なのではないか?と、ド素人の私は強く思うのでありました。