カードを、手札を増やしていく

文芸批評家の小林秀雄氏が、「批評とは褒める技術であり、褒めることは創造に繋がる」的なことを言っていたが、これは本当なのだろうな。

これは人を育てる上で欠かせないことだ。私は文芸批評家ではないから、文芸批評はできませんけど、人の良い部分を見つけて引き上げることは努力次第で可能なのである。

そのためにも、カードである。カードを増やす。要するに、こちらの手札、守備範囲を増やすのである。

小林秀雄は、文芸批評と一口に言っても、ドストエフスキー本居宣長マルクスゴッホモーツァルトなど、多岐に渡るジャンルの批評を展開したのだから、守備範囲は相当広かったと思う。

私は小林秀雄には到底なれませんが、絵画やら映画やら写真やらを見て、一応は守備範囲を広げているつもりではあります。

映画に関しては最近観てないので分かりませんが、写真に関しては、荒木経惟さんの「食卓」という昔の写真集がぶっちぎりで良かった。欲しいくらいだが、昔の写真集だから書店では売ってないだろう。

それはともかく、手札を増やすことは大事であり、大人になるということは手札を増やすことでないかとすら思うわけである。そういうおじさんやらおばさんが、親族に一人いるかいないかで大分違う気がするわけだが…とくに田舎ほどいるべきである。私の周りにはそういう人がいなかったからこそ、そうなろうと努力しているのだが…。

たぶん、手札が少ない大人ほど、柔軟性というものがなく、猪突猛進のワンパターン、精神論や根性論という古びた観念とやらを持ち出す懐古趣味の虜である。常識の奴隷で、世間の味方であるはずで、なんら創造性もなく、クソ真面目一辺倒、優髄の聞かない頑固で、面白さの欠片もないただのつまらない大人である。これはただの偏見である。

また、小さい子と習い事行く行かないで喧嘩になっている大人も、手札がないのでは?と思ってしまう。「どうして行きたくないのか?何か理由があるのか?」と聞き手に周り、子供の想いを聞いてあげなければ、うまく汲み取らなければ、向こうも大人を信用しなくなるのでは?そして、嫌なことをやらせようとする大人をあなたは信用できますか?と、私なら言いたくなるだろう。

まあ、ともかく、財布の中のカードは増えても仕方ないのだが、こういう内面のカードといいますか、手札は一向に増えて差し支えないと思います。

いや、ぜひ、増やすべきである。これは財産なのだから。しかも、相続税がかからない!から、人にガンガン相続するべきである。

その人間の技術も知識も、人に継承してこそ生き長らえるわけなのだから。