俳優H.M氏についての私なりの考察

彼の死については考えさせられるものだった。

「清潔感のある、もの分かりの良い温厚な青年」

世間からすれば、彼はこんな感じのイメージだったろうか?

私はそのような認識を抱くわけだが、それよりも、このイメージの背後にある抑圧されたモノに私は注目する。

彼は、あまり本音を吐けないタイプだったのではないか?自分の感情を抑圧しがちの男ではなかったのか?私はそんな気がしてならない。

なんだか、根拠がなく言っているようだが、かくいう私もこの手のタイプであるために肌感覚でわかる。

報道によれば、どうやら彼は深酒しがちのようなことを言っていたが、酒は抑圧しがちの人間にとっての、感情を吐露するための手っ取り早い道具となる。抑えがちの自分を解放するには、酒が一番楽である。(これのせいで、私も何度かハメを外したわけだが…。)

また、父親が二人いたりと、家庭環境が安定してなかったみたいだが、人間の心の形成においては、安定した家庭環境が必要なのかもしれないな。(「安定した家庭環境が、安定した心を形成する」というと、いかにもマルクス唯物史観論的なアプローチすぎて単純すぎるのかもしれないが…)

そして、彼は俳優という仕事をしていたわけだが、俳優というと、どうしてもイメージというのが付きまとい、それに呪縛された可能性もある。また、いろんな役を演じるがゆえに精神が堪えたかもしれない。(私は俳優じゃないので分からないが、自分とはまったく違う人間を演じるなんて考えただけでも疲れる。)

まあ、ここであーだこーだ言っても、彼の死因を直接解明はできないわけだが、ただ、以上のような原因等が複雑に絡み合って、彼を死に追い詰めたのかもしれないと私なりに推測する。(コロナ自粛の影響も多少はあるかもな。)

そして、これはあくまで私の仮説なのだが、彼は、意識的に死に向かったのではなく、無意識かぼんやりと死に向かわせたのではないかと感じる。(ふいに電車に飛び込んじゃう人みたいに)

以上、勝手な見方をしてしまったが、彼の死はあまりにも惜しい。